「おわりははじまり」荒浜再生を願う会の解散式

今日は荒浜再生を願う会の解散式でした。
「おわりははじまり」という代表の貴田さんのお話のとおり、悲しい解散ではありません。
7年間続けてこられた活動を一区切りして、メンバーはそれぞれの方法で荒浜の再生のために引き続き取り組んでいかれます。

とはいえ、やっぱり、寂しい気持ちはあります。
荒浜再生を願う会の7年間は、私が議員として駆け抜けてきた7年間でもあるからです。

市議に当選した翌日から、仮設住宅で行われる荒浜の皆さんのまちづくり協議会に通いました。
「移転派」と「現地再建派」に分かれたとき、私は「現地再建派」のテーブルに行きました。
移転派は多額の自己負担などの課題はありますが、仙台市の方針は集団移転なので、支援策などの条件闘争になると思いました。
しかし、現地再建は市の方針と対立するため、より実現が困難な方の対応が急がれると判断したからです。
その時、現地再建派のテーブルにいらしたのが貴田さんをはじめ荒浜再生を願う会のメンバーになる方々でした。

その後、荒浜住民は荒浜移転まちづくり協議会と荒浜再生を願う会とに分かれました。そのため、私はどちらの会合にもうかがい、要望をお聞きしてきました。
残念ながら、仙台市は2011年12月に荒浜を災害危険区域に指定し、住宅の新築を禁止しました。再生を願う会の皆さんの「荒浜に帰って住み続けたい」という願いをかなえることは出来ませんでした。
私は、議員になってはじめて受けた住民からの要望を、実現することが出来なかったのです。

それでも、荒浜再生を願う会の皆さんは希望を捨てませんでした。
「みんなが、ふるさとを懐かしく思って荒浜に戻ってきたくなる時がくるはず」
「荒浜で息づいてきた暮らしや土地の魅力を多くの人に伝えたい」と、灯籠流しやおめげっつぁん、海岸清掃、おまかない、などの活動を続け、荒浜アカデミアやオモイデツアーなど、荒浜を応援して下さる方々と手をつないで、その輪を大きく広げてきました。

再生を願う会のメンバーは、最初に比べると、災害危険区域に指定されそれぞれの住宅再建が進んでいく中で、たしかに一人また一人と減っていきました。非常に残念なことに亡くなられた方もいます。
ロッジが不審火で全焼し、たくさんの支援を受けて貴田さんのご努力で再建されたという経過もありました。
振り返れば、貴田さんが活動を引っ張ってこられたこの7年間は、どんなに大変だったか。近くで見てきたのに、想像もできないくらいです。

荒浜では震災遺構として荒浜小学校が整備され、今後は移転跡地利活用が進められます。
跡地利活用にあたって市に繰り返し求めたのは、この場所が誰かのふるさとであることを事業者に理解してもらい、震災後もここで活動を続けてこられた方々の思いを生かすことです。

白砂青松の美しい海岸、農業と漁業を中心とした豊かななりわい、人情味あふれる優しい人たち。荒浜の皆さんが教えてくれたこの7年間は、ここを訪れた人たちにかけがえのない財産をくれたと思います。

解散式だったのですが、今日もたくさん笑って語り合うことができました。そしてまたこの場所で、皆さんに会いたいと心から思いました。

荒浜再生を願う会の皆さん。
7年間、本当にありがとうございました。
そしてこれからも、復興の道筋をご一緒に。

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